「目的地まであと12分です。次の角を右に曲がってください」
スマートフォンの画面の中で、青い線が私をゴールまで最短距離で導いてくれる。見知らぬ土地でも絶対に迷わない。本当に素晴らしい時代になったものだ。
しかし最近、私はこの完璧すぎるナビゲーションに、少しだけ息苦しさを感じることがある。
現代社会において、「道に迷う」ということはもはやアクシデントではなく、意図的に作り出さなければならない「高度な技術」になってしまった。
私はよく、徒歩通勤の途中でふと魔が差したように、スマートフォンの電源を落とすことがある。
そして、「今日は絶対に右にしか曲がらない」といった謎のルールを自分に課して、住宅街の奥深くへと侵入していくのだ。
しかし、道に迷うのは意外と難しい。
少し歩けば大通りに出てしまうし、電柱には親切に現在地の住所が書かれている。私たちの街は、迷子を許してくれないように設計されているのだ。
「いや、もっと私を突き放してくれ!」と謎の欲望を抱きながら、さらに細い路地を選んで進む。
そうやって30分ほどあがいた末に、自分がどこにいるのか本気で分からなくなる瞬間が訪れる。
方向感覚が完全に麻痺したその時、初めて見る景色に出会うのだ。
蔦が絡まりまくって原型をとどめていない古い喫茶店。
なぜか道端に置かれた、謎の巨大なタヌキの置物。
どう見ても一般の住宅なのに、窓から「焼きたてパン」の看板を出している隠れ家すぎるパン屋。
これらはすべて、ナビアプリの「最短ルート」の青い線から外れた場所にしか存在しない、いわば世界のバグのようなスポットだ。
私たちは効率化を手に入れる代わりに、こうした「偶然の出会い」という贅沢な余白を手放してしまったのではないだろうか。
GPSが常に「あなたはここにいますよ」と正解を教えてくれる中で、たまには自分の現在地を見失うことにも価値がある。
もし明日、少しだけ時間に余裕があるなら、帰り道でスマートフォンをポケットの奥底にしまってみてほしい。
そして、いつもなら絶対に曲がらないあの怪しい路地へ足を踏み入れてみてはどうだろうか。
現代において、道に迷うことは、最も贅沢な遊びなのだから。


